橿原の歴史

橿原のあゆみ

建国の地

『古事記』『日本書紀』には、日本の初代天皇であるカムヤマトイワレビコ(神武天皇)が、日向国(今の宮崎県)を出発し大和を征服して橿原宮で即位するまでの物語が記されています。
記紀によると、日向の地から瀬戸内海を東に進んだ神武天皇は、難波(大阪)に上陸したものの現地の豪族に阻まれ、南下して熊野に回ります。そこで出会った3本足の不思議な鳥・八咫烏(やたがらす)に導かれて、吉野の山々を越えて大和に入り、周辺の勢力も従えて、大和地方を平定しました。
そして紀元前660年の1月1日、橿原宮で即位し、初代天皇になったとされています。

694年、日本最初の都城である「藤原京」が橿原の地に造営されました。
大小の道路で街区を区画する「条坊制」により造られた本格的な計画都市で、当時の人口は2~3万人を擁したとされます。
飛鳥浄御原宮から遷都されて以降、710年に都が平城京に移転するまで、藤原京は16年存続しました。

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藤原京の隆盛

大坂と伊勢を結ぶ「街道町」

中世の橿原は、古代の条里制を基にした幹線道路である「横大路」「下ツ道」が、お伊勢参りや熊野詣の人々などで賑わいました。後に、松尾芭蕉や本居宣長、吉田松陰など多くの著名人達が足跡を残しています。
また、整然と区画された農地によって構成される「農村集落」や、外敵からの襲撃を避けるために集落の外周部に濠を巡らした「環濠集落」が形成されました。

戦国時代、一向宗の布教拠点として作られた今井町は、天下を狙う織田信長軍 と戦いました。のちに武装解除されたものの、その後は商工業都市として発展。「大和の金は今井に七分」「海の堺・陸の今井」と称されるほどの隆盛を誇ります。その繁栄ぶりは時の幕府からも一目置かれ、他にない自治的特権を与えられるほどでした。

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海の堺・陸の今井

幕末から近代へ

江戸末期から橿原は「神武天皇建国の地」として注目され、1890年(明治23年)には日本建国ゆかりの地として「橿原神宮」が建立されました。

これと同じ頃、鉄道網の整備が始まりました。鉄道整備にあたっても、古来からの東西南北の交通の結節点としての位置付けが改めて確認されました。

戦後、高度経済成長期に入り、橿原市は大阪市や京都市、奈良市などのベッドタウンとしての役割を担うようになりました。多くの戸建住宅が建設され、市街地のスプロール化が進行しました。

都市部のベッドタウンとして