『飛鳥・藤原の宮都』世界遺産巡り

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『飛鳥・藤原の宮都』世界遺産巡り

「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産(橿原市内)を巡るコースです

Summary

所要時間目安:3時間30分(約8.5km)

観光テーマ・スポット一覧

近鉄畝傍御陵前駅

近鉄畝傍御陵前駅

徒歩で5分

本薬師寺跡

現在奈良市の西の京にある薬師寺(やくしじ)の前身にあたる寺です。天武(てんむ)天皇が後の持統(じとう)天皇である皇后の病気平癒のため祈願して、天武9年(680年)に薬師如来を本尊とする寺の建立に着手。完成しないうちに天武天皇が崩御したので、持統天皇がその遺志を継いで完成させました。 当時は、金堂や東西に二つの塔がありました。平城遷都に伴って寺は伽藍ともども西の京へ移築されたと言われていましたが、別々に造られたという説が有力です。それ以来、この寺は本薬師寺(もとやくしじ)と呼ばれるようになりました。 いま、寺には小堂が建っているばかりですが、前庭にあたる跡地には金堂の礎石や東西両塔の土壇、塔の心礎などが残されています。現在、その背景には畝傍山(うねびやま)が望めますがその光景はいかにも天皇が発願した官寺跡にふさわしいものです。

本薬師寺跡

徒歩で25分

藤原宮跡

藤原宮跡(ふじわらきゅうせき)は、藤原京の中心施設である藤原宮のあったところです。藤原宮は一辺約1kmの中に、大極殿や朝堂院といった国をあげての儀式や政治を行う施設や天皇の住まいである内裏などがあり、現在の皇居と国会議事堂、霞ヶ関の官庁街を合わせた性格を持っていました。藤原京は16年間の都でしたが、藤原宮の構造はその後の都にも引き継がれていきます。 藤原宮跡では、季節ごとに美しい花が植えられ、菜の花やコスモス、キバナコスモス、ハスなど色とりどりの大地のカーペットを楽しむことができます。また、藤原宮跡は大和三山の絶好の眺望スポットとなっています。藤原宮跡から見る朝陽・夕陽は息をのむほどの秀景です。平成23年6月には、藤原宮跡からの大和三山の稜線の眺めが、「重要眺望景観」に指定されました。特に藤原宮跡から香具山方向を望む展望には、コンクリート系の建物がまったく映り込まないため、「光男の栗」「朱花の月(はねづのつき)」といった映画の撮影舞台にもなりました。 藤原宮跡の周辺には、橿原市藤原京資料室や奈良文化財研究所藤原宮跡資料室など見どころもたくさんありますので、藤原宮跡でゆっくりと時間を過ごしてみてはどうでしょうか。

藤原宮跡

徒歩で30分

大官大寺跡

大官大寺跡

大官大寺は飛鳥・藤原地域で建立された古代寺院の中では最大の寺院ですが、現在は、香具山の南麓に広がる水田の中に碑(ひ)が建ち、その位置が分かるのみです。明日香村小山(こやま)および橿原市南浦町(みなみうらちょう)にありますが、伽藍(がらん)のほとんどは明日香村にあります。 大官大寺は、舒明天皇(じょめいてんのう)が発願した百済大寺(くだらのおおでら)を天武天皇(てんむてんのう)の時代に移築・改称されたとされています。しかし、出土遺物から見る限りでは、主要伽藍は全て藤原宮が営まれた時期でも後期に造られたことが明らかで、文武天皇(もんむてんのう)の時期に金堂(こんどう)を創建(そうけん)したと記す『扶桑略記(ふそうりゃっき)』の記述を裏付けています。 伽藍配置は、中門(ちゅうもん)・金堂・講堂(こうどう)が一直線上に南北に並び、金堂の南東に塔を配置する形態です。寺域(じいき)は東西約205メートル、南北約354メートルで、藤原京左京九条四坊の南半と藤原京左京十条四坊の全域におよびます。建物も非常に大規模で、金堂と講堂は同一規模・同一構造で、正面が約45メートルもあり、藤原宮大極殿(ふじわらきゅうだいごくでん)と並ぶものでした。また塔は、基壇(きだん)が一辺約35メートル、塔は一辺15メートルで、九重塔にふさわしい規模を誇ります。塔の高さは分かりませんが、平面規模が近い東大寺東塔は高さ33丈6尺7寸(約100メートル)でしたから、大官大寺の塔もこれに近い高さだったのでしょう。大官大寺の塔は、現在、日本で最も高い京都の東寺(とうじ)にある五重塔よりもはるかに高かったのです。 なお、大官大寺は金堂→講堂→塔→中門・回廊の順で造営されましたが、その完成を待たず、西暦711年(和銅4年)に火災によって焼失した事が『扶桑略記』に記されています。発掘調査では、金堂と中門の垂木(たるき)が焼け落ちて地面に突き刺さった後も燃えていたことがわかり、火災のすさまじさを私達に伝えてくれています。

徒歩で40分

菖蒲池古墳

菖蒲池古墳(しょうぶいけこふん)は橿原市の南東部、明日香村との境界線付近に位置しています。横穴式石室を埋葬施設としており、石室部分が国の史跡に指定されています。玄室内は柵越しではありますが、現地で見ることが可能です。 墳丘の形状はこれまで不明とされていましたが、2010年(平成22年)に行った発掘調査によって一辺約30メートル、二段築盛の方墳であることが明らかになりました。 両袖式の石室であることが判明していますが、羨道の大半が土に埋もれた状態であるため、石室の全長は不明です。玄室の下半部も土に埋もれていますが、奥壁および側壁は花崗岩の巨石を二段に積みあげていると考えられます。石室は玄室がやや長いものの、近鉄飛鳥駅そばにある岩屋山古墳(いわややまこふん)と似ていることが指摘されています。 玄室内には2基の家形石棺が、石室主軸にあわせて縦一列に安置されています。2基の石棺は屋根部分の形状が極めて特徴的で、いずれも天井部分が棟飾り風に仕上げられています。石棺の内側には漆が塗られています。このような石棺は他に例がありません。2基は同じ形状をもつことから、同一の工人によって作られたと考えられます。また、築造当初からふたつの棺を並べて安置する計画があったものと推察されます。

菖蒲池古墳

徒歩で15分

近鉄岡寺駅

近鉄岡寺駅