芭蕉の足跡残る八木町から名勝耳成山を巡る

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芭蕉の足跡残る八木町から名勝耳成山を巡る

八木町には文化的に貴重な建物をはじめ伝統的な町家が300軒も残っています。町を巡れば、通りの表・路地裏のいたるところで時代を帯びた商人の看板や人々が集った井戸などノスタルジックなシーンに出会うことができます。そんな雰囲気漂う町並みと大和三山の一つでもある耳成山を橿原市観光ボランティアガイドがご案内します。

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八木札ノ辻交流館

橿原市指定文化財である東の平田家を、旅籠だった江戸時代当時の間取りに修復した建物です。古くから大きな街道の交差点だった八木札の辻は、江戸時代、伊勢参りや長谷参りに向かう人々で賑わっていました。建物の見学は無料です。八木のまちを散策する拠点としてぜひご利用ください。

八木町

河合源七郎家住宅

橿原市北八木町にある江戸時代町屋で、平成21年に有形文化財に登録されました。 古代からの幹線道路「下ツ道」と伊勢街道である「横大路」の交差点である「札の辻」の北側に位置しています。河合鋭治家住宅の南側に位置します。 この建物は、初代河合源七郎によって、明治20年代後半に町屋として主屋を建築、さらに大正時代に、離れ座敷や茶室が増築されました。 旧街道に面して、蔵の妻面「貴賓口」を挟んで重厚な「出桁造」・漆喰塗込の主屋、高い境界塀と変化あるファザードを持つ民家です。

河合源七郎家住宅

芭蕉句碑

芭蕉句碑

八木町は、古代からの幹線道路である南北に通る「下ッ道」と東西に通る「横大路(伊勢街道)」との交差点である「八木札の辻」を中心に、歴史的な町並みが残る所です。 松尾芭蕉、本居宣長、吉田松陰など、さまざまな著名人がこの札の辻を通過したとされています。 「草臥れ(くたびれ)て、宿かる此(ころ)や藤の花」 芭蕉がここで泊まりこの一句を詠んだと「笈(おい)の小文(こぶみ)」の中で述べています。

西の平田家

近世には「きわらや」という屋号で、旅籠としてにぎわっていました。二階への階段もそのまま残っています(非公開)

東・西の平田家

耳成山

平成17年に名勝指定された大和三山(やまとさんざん)と呼ばれる香具山(かぐやま)・畝傍山(うねびやま)・耳成山(みみなしやま)のうちの1つです。 標高139.7m。火山の噴火で生まれた独立峰で、瀬戸内火山帯に属しています。 万葉集では、「耳梨山」と書かれていました。風変わりな名前ですが、山の形からすると「耳無し」で、山裾のない、真ん丸い山ということになります。実際は、どの方向から見てもきれいな円錐形で耳成(余分なところがまったくない)というネーミングがぴったりのような感じがします。中腹に耳成山口神社があり、南麓に桜の美しい耳成山公園があります。 万葉集では、中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が大和三山のことを詠んだ歌があります。 「香具山は 畝火ををしと 耳梨と 相あらそひき 神代より 斯くにあるらし 古昔も 然にあれこそ うつせみも 妻をあらそふらしき」

耳成山

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